結婚披露宴
5/13(土)は社員の結婚披露宴に出席させていただきます。その様子はまた次回以降のblogで。
低下と歪み
最近、報道番組を視聴していて感じることは「日本人の質の低下、国民性の歪み」です。36歳の中学校教諭が63歳の男性を刺し殺した(疑いが強い)、銀座の宝飾店で高校生を含む若者4人が強盗、特殊詐欺事件、五輪汚職などなど、枚挙にいとまがないわけですが……私が考える主な根本理由は①道徳観を含めた教育の質の低下、②経済・政治を含め日本という国への絶望感、③便利さや効率を追求し過ぎたことの弊害の3つだと思っています。もちろん、個々理由は別にあるでしょうが、全体として以上3つが関わっているように思えてならないのです。
上の①~③に触れながらつらつら書いておきたいと思います。
「日本人の質の低下、国民性の歪み」を考える場合、私は「ゆとり教育」が1つの理由であると考えています。「ゆとり教育」とは2002年度(平成14年)から約10年間行われた公教育施策です。一例を挙げると、学校は完全週5日制となり、小学6年生ではそれまでの30年間と比較すると140時間も授業数が削減されたわけです。それにより学力低下が社会問題化し、その後「脱ゆとり教育」へと舵を切っていくわけです。「ゆとりが間違った楽を覚えさせた面が少なからずある」と思っています。また「個性を生かす」ということが重視されたのもこの時期ですが、それが生徒・保護者にいいように受け取られ、教育現場でご活躍の先生たちが大変に苦労された面もあったでしょう。私は「個性の前にまずは基礎・基本・型が大切」だと思います。特に幼児から小・中学生の間の15年間はそれ以降の生き方や価値観を確立する大切な時期です。そもそも「個性」というのは誰かが生かすというよりも「自然と発揮されるものが個性で、周囲がそれを認めたり、許容したりするもの」だと思いませんか。「個性を生かす」が「自分勝手、自分本位でよい」と曲がった捉え方をしていたようなところもありました。それが「質の低下や歪み」に繋がった面があるのだろうと思うわけです。繰り返しになりますが「個性の前にまずは基礎・基本・型が大切」です。仕事でも同じことが言え、弊社の研修会などに参加し度々社員に伝えることはこのことです。
あくまでも例として主観を交えて挙げておきます。
1996年前後に生まれてきた子どもたちは、この「ゆとり教育」を小・中学校で満遍なく享受したわけです。彼らは現在27歳(Z世代の最年長者として定義される年齢)前後となっています。ちなみにインターネットの普及は1995年~2000年ですから、物心がつく頃には彼らの身近にインターネットという便利な代物があったわけです。そうして見ると彼らが成長する過程においてそれ以前と比較し「楽(らく)、便利、効率」などといったものが身の回りに普通にあったわけです。そのことが「人によってはマイナスに働いている部分が少なからずある」のではないかと感じることがあります。楽で便利で効率のよい教育環境や生活環境を起因とし「楽して何かを得ようといった短絡的な考え」を生み、それが元になって、最近よく耳にする若者が起こす事件(詐欺・強盗など)に繋がっているように感じるわけです。
私はいわゆる「X世代」(バブル世代)と「団塊ジュニア世代」との狭間にカテゴライズされる「特に名もない世代」に属する1969年生まれの54歳なわけですが「苦労と不便が本来の人間力を鍛え、支えている部分がある」と考えますので、この20~25年を振り返って「世間は良くなった面も多いけど、その反面人間として(日本人として)失ったものが大変多い」と感じざるを得ません。
そして「日本人の質の低下」をある意味後押ししているのは、「日本という国への絶望感や焦燥感」であろうと思います。政治や経済に対する不信・不満・不安・諦念を国民の多くが持っており、そのことが世代を問わず「短絡的な考え」を生み出す源になっているように感じます。もちろん「質の低下と歪み」を感じさせる事件を引き起こす人間には、それぞれそうなる理由は別にもあると思いますが、なんとなく全体として、上に書いた3点が色々なことに繋がり……ってことなのかなぁと思います。
ここまで「日本人の質の低下、国民性の歪み」という重苦しいテーマに関して、主観たっぷりに書いてみました。
文理学院がやるべきこと
上のことを踏まえ、文理学院が社会の中で何をすべき企業であるか、社長として社員たちと共に何をしていくべきなのか……私の考えを最後に書いておこうと思います。
一言で「教育」です。「学業を通して人としてのより良い生き方と考え方を教育する」ことです。
目標を掲げ、その達成へ向けて考えながら、工夫しながら進んでいくことの大切さ(ゴールを先に決め、それへ向かって登っていく感覚の大切さ)
思うようにならないことが、考えたり、工夫したり、成長したりする大きなチャンスと捉える思考
やるべきことを我慢強く、それでいて我慢で終わるのではなく、遣り甲斐に繋げる思考と行動
努力は報われる、とは言い切れない。しかし、努力は小さいかもしれないが必ず実を結び、小さいかもしれないが必ず花を咲かせる種である
「結果の原因は自分にあり」と自分で謙虚に反省できたり、自分自身を褒めてあげられる人間たれ
などなど「学業を通じて将来必ず役に立ち、身を助ける思考と行動を育む」きっかけ、出発点が文理学院での勉強であってもらえたなら、我々が存在する意味や価値もあると思う。
さぁ、明日も「いい仕事」をしよう!