10/10(木)。昔は「体育の日」でしたね。大変不思議に思うことは、なぜ学校の運動会・体育祭を5月や9月にやるのかということです。暑さ和らぐ10月にやれば児童・生徒諸君も保護者も先生たちも気持ちよくできる行事なのになぁと毎年思っては忘れ……。
話は変わります。
「人間誰しもやり直しができる」というお話。
ちょっと極端な話しから書きますが、殺人や重大な犯罪を犯した人間が刑期を終えて出所し社会復帰……。もちろん復帰は多難かもしれませんが、社会全体として「やり直すチャンスを与えている」わけです。これは正しいことか、間違っていることか。正しいことだから、そうなっているのです。
借金を背負ったり、離婚を経験したり、人生には大きな谷間もあります。そこで失敗したことを取りかえす、挽回するチャンスが誰にでも与えられています。それは正しいことでしょう。
何らかの理由で会社を辞めた人たちにも転職・再就職など「再起するチャンス」が与えられています。文理学院にも多くの転職者がいます。その中には人生の再出発を胸に仕事をされている人たちもいます。
仕事で失敗したり、思うようにいかなかったりすることがあります。仕事をしていればそんなものです。私も失敗はいくつも経験してきました。自分が蒔いた種のお陰で。それでも「成功への再スタートを切る」ことが誰しもできるのです。下を向いている場合ではないのです。あなたを必要としている人がいるのです。1つ失敗したら2つ成功させればいいさ!大丈夫!!
私が言いたいことは「命があれば誰でもやり直しができる」ということです。ただし、それには大きな条件が3つあります。1つは「本人の強い決意」です。絶対に同じ失敗を繰り返さないと決意し事に臨むことです。もう1つは「周囲の理解と多大なる援助」です。その人を理解し声をかけ再出発を支援することです。最後の1つは「本人の周囲に対する感謝の気持ち」です。再スタートの機会を与えられたことに感謝、一緒に働いてくれる、生きてくれる人に感謝、叱ってくれる人に感謝……「感謝の念」がなければ絶対にやり直しはできません。また、この3つが揃わなければ「やり直しの機会」は奪われることにもなります。
私は1人の人間として、以上のような考えを持っています。よって社員に対してもこのような姿勢で臨んでいます。ただし、当然ながら「社内では絶対に許されない失敗」もあることは社員全員が理解していると思います。最近のニュースにあるような同僚・先輩間でのいじめ問題にみるような多岐に渡るハラスメントや金銭トラブルなどは「周囲の理解と多大なる援助」には繋がらず、上の3つの条件を満たしていないわけですから「その後の社内での再出発は難しい」ということになるでしょう。
色々な報道を見ていて「再出発」の意味について1度しっかりと私の考えを書いておかなくてはならないと思った次第です。