9/9(月)は会議→ブロック長(渡辺、桒原)と打ち合わせ→他のお仕事と1日が終わっていきます。今日は久しぶりに富士ケ嶺を通って山梨県に入ってきました。このルートは本当に久しぶりでして、改めて好きな道だと思った次第であります。途中、富士山をパチリ。
そして、出社前にこれまた久しぶりのうどん屋さんへ。
文理学院東桂校舎の手前を右折して……かなり目立たないお店ですが、美味しいです!「熱いうどん」と「冷たいうどん」を2つ頼んで¥500です。安い!!しかも、ここのうどんは味がとてもよい。上野原校舎の天野校舎長にだいぶ前に聞き、今回が3回目の訪問です。以前より太くなっている麺に驚きましたが、また寄りたいお店です。
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ちょっといい言葉をまたまた見つけてしまいましたので紹介します。
「ありがとう」の反対語は「あたりまえ」 「ありがとう」を漢字で書くと「有難う」となります。それは「有難し」(ありがたし)といい「あることが難しい、あり得ない、稀である、奇跡だ」ということ。奇跡の反対は「当然」や「当たり前」ということ。人間は毎日起こる出来事を当たり前と思い過ごしている……歩ける、見える、聞こえる、食事ができる、息ができる、友達と会える、太陽が昇る、仕事がある、家族が毎日帰宅する……などなど。そして「生きているのも当たり前」と思うのである。ある夫婦のこんな話がある。「ちょっとお酌してくれないか」と夫。妻は「今、忙しいから自分でやって」と。夫は少し寂しそうだったが手酌で酒をついだ。その3時間後に夫は急に倒れ帰らぬ人となった。妻は悔やんだ。「なぜ、あの時にお酌をしてあげなかったのか。あの時になぜもっと優しい言葉で接することができなかったのか」誰しも今日と同じ日が、明日以降も繰り返されると思っている。今日、誰かと出会い、話をし、笑いあい、食事をし、仕事ができる。こんな当たり前のようなことが、本当は「奇跡の連続」なのかもしれない。「有ること難し」生きて、出会うという奇跡の連続に「ありがとう」と言わずにはいられない。
私はこれを読んだ時に、ショックを受けました。私も頭のどこかで「当たり前」と思って生きている部分がありはしないかと。目の前で起こるすべての事象は当たり前ではないのですね。「奇跡の連続で毎日はできている」と思うと、なおのこと日々一生懸命生きなければと思うのです。そうしてきているつもりでしたが、まだまだだなぁと痛感。また、自身の生き方にスパイスを頂きました。「言葉の力」って素晴らしいなぁと思いました。