10/24(日)は朝から喫茶店で少しお仕事を。ここは4回目の訪問ですがお気に入りの喫茶店の1つです。余分な会話がなく、お客がふらっとやってきて、各々静かに読書をしたり、PCを開いたり。店内ではJAZZ, Rockなどがかかり、その音量も私にとっては適量です。
あと1週間で10月が終わりますね。子どもたちにもテストへ向けての締め切りがあり、私たちにもお仕事の締め切りがあります。そして、誰にでも「人生の締め切り」があるのです。その締め切りは突然やってくる場合もありますし、予想以上にだいぶ時間が経ってやってくる場合もあります。その締め切りまで「心を燃やせる何か」に出会い、それにどっぷりと浸ってみることができることは、人生においてこの上ない幸せかもしれません。
以前、「子育て」について相談を受けたことがあります。と、いうかたびたび受けます。私自身が育った環境などを振り返りながらいつも同じことを言うのは①子は社会が育てる(いろいろな人との関わりが多ければ多いほど豊かな人生に繋がる可能性が高い)、②親が子育ての責任をすべて被ろうとしてはいけない(悩んでしまい親である自分が、自分たちが至らないのでは?と考えすぎてしまう人もいますが、それはある意味親のエゴかもしれませんよ)の2つです。私はもちろん親に育ててもらいましたが、親以外からの影響を強く受けて育ってきたと振り返ります。たまたま自営業を営んでいた親の仕事が忙しく、普通の家庭環境とはちょっと違っていたこともあるのですが、まさに「社会に育ててもらった私」です。ソフトボールチームの監督やコーチ、部活の顧問、学校の先生(一部ですが)、テニスクラブのコーチ、大学のテニス・サークル(サークルといってもほとんど体育会のノリでしたが)の先輩たち、テニス・ショップのおじさん、おばさん、会社の上司、ビジネス書や自己啓発本の著者などなど。家族とべったりでなかったことで視野が広がり、いろいろな経験を積むことができたから、今のような感じに育った、育ってしまった(笑)のだと思います。「育ち」でも「素直さと感受性の磨かれ度合い」に違いが出るのだと思います。また、冗談1/3で話すのは「賢い親は自分の手を汚さない」ということです。例えば、文理に通わせている子がいれば、親が子に対して言いたいことを、文理の教師に相談し、文理の教師から子どもに対して言ってもらうということです。メカニズムとして「親子関係はある一定の時期(あるいは長期的に)こじれやすい部分もある」と思いませんか。たまに「反抗期もなく」なんて話を耳にしますが、そんな子のほうが珍しいわけですよ。あの田村淳さんなんかは、成人後だいぶたって母親の癌を知り、その時にやっと反抗期が終わったそうですので(笑)話をまとめると「賢い親であるには、責任を負いすぎない(自分を責めない)、他人に任せる部分をつくる、積極的に子どもを社会に出す、自分で手を汚さない(ところもつくる)」といったところです。
さぁ、今日も1日はりきってまいりましょうね!