8/23(月)は午前中から都留本部にてお仕事でした。新卒の入社面接・試験だったのですが、よい出会いとなれば幸いですね。この時期に就職活動をしている学生さんには各々事情があるでしょうが、私の経験からすると「遅い時期に面接・試験に来られた学生さんの中にも、私塾教師向きの掘り出し物(者)がいる」と思っています。就職活動の中で鍛えられ、世の中を少しだけ知ってから来ることになったり、他の業界・会社とはご縁が無かったものの、私塾業界や弊社とはとてもマッチしていたり……いろいろ。まぁ、とにかく面白いですよ「人生」ってのは。
ちょっと思い出話を。
私が就活していた頃は「バブル末期~崩壊」の辺りでしたなぁ。
「バブル経済」は中学の歴史・公民でも目にする言葉ですよね。1986年~1990年頃の国内好景気を指します。私が社会に出たのは1991年4月ですので、学生時代の4年間はまさにバブル絶頂期の中で過ごしたことになります。このことは、よい意味で今の仕事観・人生観に大きく影響していることは間違いありません。今、振り返っても「強烈な時代(時期)」でした。
もともと学校の教師になるために大学へ進学しました。しかし、色々と話を聴く中でその仕事に魅力を感じなくなり、方向性を見失っていたと思います。そのこともあり就活で訪問した会社は30社(笑)。革靴の底が本当に減りましたよ。就活では途中「広告業界」を目指すことになりました。営業(AE)から入り糸井重里さんのようなコピーライターを目指そうと。しかし、大阪の中堅広告代理店に勤務する同じ大学卒の先輩から「絶対やめとけ」、「この業界は君にはお薦めできない」と強く言われ断念。また、その他の業界を回るも、大阪梅田に本社のあった大手「リクルート」グループの人材派遣系の会社も社長面接で落とされ、静岡の地元優良企業(精密機械系)も最終面接で落とされ、夏前に内定をいただいていたのは2社。その1つが「ダイキン」でした。今や押しも押されぬ素晴らしい空調メーカーとなっていますよね。その2社のどちらかに就職する予定でいましたが、大学4回生の夏に帰省した際、母から見せられた学習塾・予備校の社員募集広告。「もともと教師になりたかったしなぁ」と……2つの会社から内定をいただき、その1社に入社することでこの業界に身を投じることとなりました。もともと「人に教えること」は好きだったんですね。だからこの業界に入って大正解だったと思っています。色々な人のアドバイスに流されてみた結果とも言えます。「お導き」という言葉がありますが、まさに色々な人に導かれるようにこの仕事に就き、大きなやりがいを感じながら今日まで来ることができました。本当にありがたいことです。
話はズレますが「教えることが好き」はアルバイトにも影響しました。18歳~22歳までの4年間、主な稼ぎは「テニスのインストラクター」。月に8~12万円ほど稼ぎました。老若男女問わず上達していく様を見るのが面白くてね。よく、おばちゃん(50~60代)達に「おぐらく~ん!〇月〇日に5人でレッスンしてくれへんかなぁ~」(大阪でしたからこんな口調で)なんて、プライベート・レッスンも頼まれました。バイト代も2時間程度で1万5,000円+お弁当という好待遇で、本当にありがたかったですよ。その他にも「日雇いバイト」を21歳~22歳で色々やりました。引っ越し、新聞代徴収、住民票整理、太巻き(恵方巻)づくりなど。日雇いではありませんでしたが、某有名ファスト・フード店のバイトはあまりのつまらなさに1日で辞めました(笑)「自分で日雇い」にしました(苦笑)。そのような多くのバイト経験は今の仕事にたいへん生きています。
子どもの頃は父・母の自営業を目の当たりにし、お皿洗いなどを通じて、また、学生時代はアルバイトをすることで「お金を稼ぐ意味」、「お金を稼ぐ術」、「お金を稼ぐ面白さ」、「お金を稼ぐ大変さ」を存分に知ってから社会に出ていったように思います。もちろん、これまでも「学生時の働いて稼ぐ経験」がとても生きていると思います。
自身の根底には「お客様(人様)のために汗をかく」という信念があります。
私が仕事上、胸を張って「この仕事に就き、この仕事をしてきてよかった」と言えるのは、 「生徒・保護者にとって為になることを、同じ志を抱く仲間と一緒に、一生懸命考えながら仕事をしてきた」ということです。
また、なぜ今のような役を与えられているのかを考えた時、その理由の1つは給与を含めた待遇面を優先するのではなく 「お客様(人様)のために汗をかく」ということに注力し続けてきたからではないかと思います。実際、待遇面で会社や上司に不満を述べたり、交渉を試みたりすることは1度もありませんでした。私の中ではそこの優先度が低いのです。創業者である加賀先生はたぶん私のそのような「私欲なき姿勢と顧客第一主義の姿勢」を買ってくれ2代目に抜擢したのではないかと考えています。私も今後、文理学院の良さを継承していくために「私欲なき、利他の精神に溢れる人物」、「会社の方向性を理解し、共感してくれる人物」に重責を担ってもらいたいと考えています。
「お客様のことを第一優先に考え、よりよいサービスを低価格で提供するために自分たちで考え、一生懸命汗をかくことができる仕事」
私の仕事(会社)選びの第1優先はこれですね。これができる会社だからこそ、こうして文理学院で18年ほどやってこれていると思っています。それができなくなったら、私はこの場所にはいないでしょう。「信念を曲げてまでやる仕事は、私のやる仕事ではない」と考えていますから。逆に創業者から受け継ぐ私の信念を周囲に理解してもらえるよう、努力を怠らないことが、私のある種の「責任」であると考えています。
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昨日は遠州「小國神社」へ参詣しがてらお茶を買いに。神社奥の山も久しぶりに散策し、大変気持ちの良い休日となりました。遠州森町が私の亡き父親の御在所。ここへ幾度となく来るのも、やはり何かに導かれているのかなぁ。
「お導き」ってものは確かにあるよね。