今年もこの日が来ました。
8/6広島、8/9長崎のことを忘れてはなりません。
本日は8/6(火)は「ヒロシマ」の日です。毎年この日には広島に関するブログをアップしています。日本国民全体がこの日を迎え「原子爆弾という恐ろしい兵器」について考えたり、犠牲者を追悼したりする時間を持たなくてはいけないと思います。広島へは毎年のように訪れていまして「平和記念公園と原爆資料館、原爆ドーム」など、被爆建築物(広島市のリストを参考にしながら)を訪問しています。資料館は今年4月にリニューアルされました。関係者は若い世代にも関心を持ってもらい後世に戦争・原爆の恐ろしさを伝えていく努力を重ねています。現在、資料館に展示してあるものの数は膨大ですが、今でも毎年遺族から多くの遺品が寄贈されているそうです。「手放せなかったものを信頼できる場所に預けたい。同時にこの甚大な被害を風化させたくない」との思いから寄贈されるのだと思います。リニューアルに当たっては遺品の展示数を増やすと同時に、遺品の傍らに遺影を置いてその人となりを感じることができるよう工夫したり、これまでよりも映像やタッチパネルなどを駆使し若い世代にもわかりやくしたりして、「より視覚に訴えかける」ものが多くなっています。今週はどのテレビ局でも「戦争や原爆の特集」を組みます。その中の1つでもよいので見るようにしませんか??
【過去のブログより】
いわずもがなですが、本日8月6日は広島に原爆が投下された日です。
1938年12月にドイツで初めて核分裂によるエネルギー放射が確認され、それを応用してできたものが「原爆」であります。第二次世界大戦中、アメリカはドイツに対する危機感を持っていたことに加え、かのアインシュタインの助言もあり原爆の研究に入っていきます。およそ3年後の1942年8月「マンハッタン計画」によって原爆製造が開始され1944年にはその恐ろしい化学兵器を日本へ投下することを決定します。
★なぜ、日本へ投下することを決めたのか?
1.早期に日本を降伏させ、米軍の犠牲を最小限に抑えるため。
2.原爆を日本に投下することで、大戦後の世界で旧ソ連より優位に立ちたいと考えていたため。
3.原爆には20億ドルの資金が投入されたといわれています。その資金を国民の税金でまかなった面が大きく、国民に対して原爆開発の正当性を訴える目的もあった。
★なぜ広島だったのか?
1.広島は山と海に囲まれた地形なので原爆の破壊力を知るのに丁度よかった。
2.広島には軍事施設、軍需工場が集中していたため。
3.8/6当日、広島の天気が晴れており目視での投下がしやすかった。
★どのように投下されたのか?
「エノラ・ゲイ」(原爆搭載機)、科学観測機(「ストレートフラッシュ」、「フルハウス」)の「B29」3機がテニアン島を離陸。広島が好天との連絡を受けた「エノラ・ゲイ」が、広島上空から市内中心部にあるT字型の「相生橋」をめがけ午前8時15分17秒に原爆「リトルボーイ」を投下。原爆は相生橋の南東約300メートルにある島病院の上空約600メートルで炸裂した。
原爆投下から約5年間の間に、約14万人の人々が亡くなりました。↓↓↓写真の下へ続く
上の写真は以前、広島へ行った時に撮った写真です。
日本は世界で唯一の被爆国であります。その日本の「フクシマ」でも記憶に新しいと思いますが悲惨な大事故があり、いまだに完全決着をみていません。また、福島がそのような状態であるのにも関わらず、あろうことか稼働停止している原発の再稼働を推し進めるようなことも国は平気でしてきました。被爆国の日本がなぜ原発を推進してきたのか??色々な考えや意見があると思いますが、私が思うに「被爆国だからこそ核の平和利用を成功させたい」また、「恐ろしい体験を逆手にとり世界を驚かせる大国になりたい」などの政治家や経済界の考えが働いたから「原発大国」になったのではないかなぁと・・・。この数年、小泉元首相などがメディアを通じて「原発は即停止すべきだ」と訴えていますが、廃炉のことや使用済み核燃料のことなどを真剣に考えると、私も彼らの意見に賛成です。
↓ニュースパスより本日の記事↓
↓日経電子版より本日の記事↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48223020V00C19A8AM1000/