7/1(月)。2019年の後半戦がスタートしました。新たなスタートを切るにも、仕切り直しをし挽回を図るにも「1日だし、月曜日だし、1年の後半戦のスタートだし……」うってつけの日ですね~。後半戦、張り切ってまいりましょう!!
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不登校で学校や塾に通うことができない生徒がいます。いろいろな理由があるのだと推測しますが、そんな子たちに贈りたい9行の詩を目にしました。こんな感じの詩です。
気を遣うくらいなら
断りなさい
信頼されたいなら
断りなさい
自由になりたいなら
断りなさい
たとえ断っても
ついてきてくれる人を
大切にしなさい
詠み手はyumekanau2という方で「きっと明日はいい日になる」という書籍も出しているとのことですが、この詩は本質をついたいい詩だと感じました。
私はこの詩のような生き方をしてきたためか不必要なストレスを感じることも少なく、心の病に侵されることもなく健康に生きてこれた気がします。「人づきあいが悪い」とか「わがままだ」とかといった言葉がありますが、この数年間、多方面で叫ばれている「自分自身のことを大切に考える」、「自分の時間を大切にする」という観点からするとそれらは「言葉の化石」かもしれませんね。「人に、物事に、無理をしてまで付き合う必要はない」のです。「柵(しがらみ)でがんじがらめになる必要もない」のです。むしろそのようなことで心を病み周囲に心配をかけたり、気を遣わせたり、迷惑なったりするほうが自分自身にとっても大きなマイナスになります。
「生き生きと生きる」ほうがいいですよね。不登校の子の中には友達付き合いなどでストレスを感じてそうなってしまったという子も少なくないと思います。いろいろな意味で「無理をしない、自分らしい生き方」をしていくことが大切です。
もちろんそう書きながらも「助け合う」、「分かち合う」といった精神はとても大切です。学校行事や仕事などの「公の場」では以上の詩に当てはまらない場面もありますよね。「公の場以外」では「自分自身と自分の時間を大切にした生き方」をしていくほうが賢明です。私の場合も50年生きてきた後半の20年は色々な意味での断捨離を経て自分自身と自分の時間を大切にする生き方へと大きく変えてきました。現在、この場に立ち振り返ってみると、それは自分にとってとても幸せなことで、自分に合った生き方だったと思えるわけです。
塾生諸君に言いたいことは、まだまだ若く経験も浅い分「成功しても失敗しても大した問題ではない」ということです。難関校や志望校に合格したからといって将来が約束されるわけではなく、大きな失敗をしたからと言って人生が終わるわけでもない。1つひとつの事象は人生における通過点でしかなく、本当の意味で「いい人生か?」は50歳を超えたあたりで少しずつ分かってくるようなところがある。若い頃からの様々な経験を通じて「どう育つか」が大切です。その根底には「目の前のこと、やるべきことに心を入れて一生懸命やり遂げる日々を送り続ける」ということにつきます。