【492】命は削るものではなく、燃やすもの

人間の最大の問いは「この命を何のために使うかということです」命の使いどころを掴んだ人間だけが、命を激しく燃焼させ、悔いのない人生を歩むことができる。

この言葉は思風庵哲学研究所所長の芳村思風(しふう)さんの言葉だそうです。大変共感できる言葉で、以前メモしておいたものです。教育という仕事はまさに命を燃焼させることができるやりがいある仕事だと感じます。私の場合、現在の主な教育の対象は「大人」です。子どもたちに教育を施すのは以前の1/7ほどになってしまいました。それは少々つまらない部分ではありますが、最近「大人」への教育の奥深さと面白さに気がつくことが多いです。一番最近だと、先日の学研教室静岡事務局定例会の時間をいただき実施した講演会です。当日は遠くは浜松市や山梨県からの参加もあり、50名を超える学研教室の先生方にお話をさせていただきました。早速、事務局にアンケートが返ってきて、そのいくつかを読ませていただきました。講演の準備段階から念頭においているのは「先生方に元気と指針を与える」ということです。アンケートからは私が思う以上に、その目的は達せられたのではないかと感じています。嬉しいのは「人様のお役に立てた」ということです。「利他」とはつまりこういうことなんだと改めて実感。「人様のお役に立てたということが、心の底から嬉しいと感じることに繋がり、自分自身の存在価値のようなものを確認でき、また自身のやる気、元気の原動力となる……」これこそが「利他」の本質・神髄であると改めて思うわけです。

この命を何に使うか

職種はどうあれ、私の場合は人に元気や勇気を与え、指針を示し、一緒になって前へ進んでいくことにこの命を使い尽くすことが天命を全うするということではないかと思います。「広義で教育」と考えれば、今のような立場でもよし。再度、教育現場(例えば校舎運営や授業)での仕事にどっぷりと浸かるのもよし。政治の世界へ飛び込むのもよし。広島での活動へ舵を切るのもよし。そんなある種の「夢や目標」に頭を巡らせることができるのも、いい意味で30年間私教育現場にどっぷりと浸かって、色々な役職や立場を経験しながら、色々な人との交わりの中で学びながら、自分の特徴(特長)を見出すことができてきた証のようにも感じています。55歳からでも、60歳からでも、65歳からでも……健康ならばまだまだ自分の特性を生かし切る場面はきっとある。そのような思いを胸に『文理学院とここに集う社員たち、生徒たちの成長に少しでも寄与できるよう、また今日から精一杯社業に邁進しよう』と決意する自分であります。

う…ん、ちょっと硬い文章だなぁ。

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