誹謗中傷が理由で自ら命を絶った女子プロレスラーの件。
本当に痛ましい「事件」です。
まず、誹謗中傷をネットなどに書く側に言いたいのは「大変、卑怯で卑劣な行為。素性を隠してしか意見を言えないところが恥ずかしい」ということ。中3の公民で「人権」についてレクチャーするが、その中に「言論の自由、表現の自由」というのが出てくる。しかし、誤解してはいけないのは「人の命や人権を脅かす自由が認められるはずがない」ということです。それすら理解できていない輩が多数いるということ……悲しいかな、人間の冷酷な側面が垣間見える。「どのような育ちをし、どんな教育を受け、どのような生き方を信条としているのか……」私にはこのような行為をする人間を1㎜たりとも理解できませんね。そもそも、他人のことにそこまで興味を持ち、誹謗中傷を書き込む時間があることが、ある意味凄いと思います。暇だなぁと。
「その時間とその気力、全く逆のことに使ったほうが生き方として素敵ですよ」
と言いたいです。
次に、誹謗中傷を受ける側に言いたいのは「明らかに誰かを傷つけたり、大きな迷惑をかけたりしたのであれば、甘んじてその誹謗中傷を受ける時間帯も多少は致し方ない。それが、その本人やその周囲の関係者であれば…だ。しかし、まったく関係ない人間にどうこう言われる筋合いはない。まったく関係ない人間からの誹謗中傷は、それを言ってくる(書いてくる)人間に対して、そのような育ちだから仕方ない、可哀そうな暇人だ…と受け流そう」ということ。私も51年間生きてきたので、誹謗中傷を受けたことも無くはないです。まったく関係ない輩に。しかし、自身の性格とそういうことに興味がないことなどから、悩むこともなくここまで生きてきました。結局、言う人は言うし、言う人はその程度の人間性の持ち主。
「人生の目標を持ち、その目標へ向けて自身の人生を一生懸命生きている人間からすれば、相手にするだけ時間も気持ちも無駄」
だと思っています。
発する言葉も文字として表した言葉も、言葉は大変重要なコミュニケーション・ツール。社内でも繰り返し言ってきたのは(特に管理職に対して)「使う言葉と言葉の使い方が大変重要だ」ということです。言葉というものは大変重いもの。言葉ひとつで救われることもあれば、言葉ひとつで今回のような悲惨な結果になることもある。ましてや、関係ない、会ったこともない、話したこともない赤の他人の言葉が原因で、自ら命を絶つような生き方は絶対にしてほしくないとも思います。そう書きながらも、今回の被害者である女子プロレスラーの心の奥底までを私は到底理解してあげられないでしょう。そうでしょうが、今回のこの惨事、大変残念でやりきれない気持ちになる痛ましい「事件」です。
今回のことを受け、政治もやっと重い腰を上げたようです。「誹謗中傷発信者特定へ制度改正を行う方針」であることが先ほど報道で流れました。とてもいいことだと思います。それは広い意味で「人権」を守ることになるからです。