2024年8月6日(火)午前8:15に開示させていただいております。
今年もこの日が来ました。
8/6広島、8/9長崎のことを忘れてはなりません。
本日8月6日は「ヒロシマの日」です。毎年8月は広島に関することを中心に「平和について考える」をテーマにいくつかブログをアップしています。日本国民全体がこの日を迎え「原子爆弾という恐ろしい兵器」について考えたり、犠牲者を追悼したりする時間を持たなくてはいけないと思います。私はこれまで何度も広島を訪れていまして、多い年は年3回この地を訪れ「平和記念公園と原爆資料館、原爆ドーム」など、被爆建築物(広島市のリストを参考にしながら)を巡っています。2016年5月28日のオバマ米国大統領の訪広の際にも広島にいました。昨年は2017年ぶりに「広島平和記念式典」に参列しました。あの悲惨な戦争、あの悲惨な非人道的行為「原爆投下」を決して風化させてはなりません。ロシアのウクライナ侵攻から始まった戦争が今だに続いており、北朝鮮がミサイルの発射を頻繁に繰り返しているような「狂気の時代」を私たちは生きています。だからこそ、1945年8月に起こってしまった核兵器による甚大な被害について「毎年のように確認し、決して忘れないよう努めていく責任が人間にはある」と私は考えます。
風化させないための努力も継続して行われています。平和記念公園にある原爆資料館は2019年4月にリニューアルされました。もちろん私もリニューアルすぐの5月に訪れていますが、関係者は若い世代にも関心を持ってもらうべく、展示の方法などを工夫して後世に戦争・原爆の恐ろしさを伝えていく努力を重ねています。現在、資料館に展示してあるものの数は膨大ですが、今でも毎年遺族から多くの遺品が寄贈されているそうです。「手放せなかったものを信頼できる場所に預けたい。同時にこの甚大な被害を風化させたくない」との思いから寄贈されるのだと思います。それら遺品の傍らに遺影を置き、その人たちの人となりを感じることができるよう工夫したり、これまでよりも映像やタッチパネルなどを駆使し若い世代にもわかりやくしたりして、「より視覚に訴えかける」ものが多くなっています。よく思うのは「静岡の中学生、修学旅行で京都・奈良へ行っているが、広島へ行くべきだ」ということです。私は大学生になって初めて原爆資料館を訪れ、大変な衝撃を受けました。もっと早く訪れていたら、また違った人生があったのではないかと思います。
2022年の夏に「SDGsの日」という講演会を開催しました。中学生を対象にSDGsのゴール16「平和と公正をすべての人に」をテーマに講演をしたのですが、その講演の中でも広島への原爆投下について、また世界が置かれている危機的な状況などについてお話をさせていただきました。参加した生徒たちからの「感想・意見文」を読みながら、彼らの心の成長を強く感じたことを覚えています。今週はTVで戦争や広島・長崎に関する番組が組まれています。ぜひ、1本でも2本でも、それらに関する番組を見て、色々感じてほしいと思いますし、できれば「行動」を起こしてほしいと思います。
【過去のブログより】
いわずもがなですが、本日8月6日は広島に原爆が投下された日です。
1938 年12月にドイツで初めて核分裂によるエネルギー放射が確認され、それを応用してできたものが「原子力爆弾」(原爆)であります。第二次世界大戦中、アメリカはドイツに対する危機感を持っていたことに加え、アインシュタインの助言もあり原爆の研究に入っていきます。およそ3年後の1942年8月「マンハッタン計画」によって原爆製造が開始され1944年にはその恐ろしい化学兵器を日本へ投下することを決定します。
★なぜ、日本へ投下することを決めたのか?
1.早期に日本を降伏させ、米軍の犠牲を最小限に抑えるため。
2.原爆を日本に投下することで、大戦後の世界で旧ソ連より優位に立ちたいと考えていたため。
3.原爆には20億ドルの資金が投入されたといわれています。その資金を国民の税金でまかなった面が大きく、国民に対して原爆開発の正当性を訴える目的もあった。
★なぜ広島だったのか?
1.広島は山と海に囲まれた地形なので原爆の破壊力を知るのに丁度よかった。
2.広島には軍事施設、軍需工場が集中していたため。
3.8/6当日、広島の天気が晴れており目視での投下がしやすかった。
★どのように投下されたのか?
「エノラ・ゲイ」(原爆搭載機)、科学観測機(「ストレートフラッシュ」、「フルハウス」)の「B29」3機がテニアン島を離陸。広島が好天との連絡を受けた「エノラ・ゲイ」が、広島上空から市内中心部にあるT字型の「相生橋」をめがけ午前8時15分17秒に原爆「リトルボーイ」を投下。原爆は相生橋の南東約300メートルにある島病院の上空約600メートルで炸裂した。
原爆投下から約5年間の間に、約14万人の人々が亡くなりました。↓↓↓写真の下へ続く
上の写真は私が広島で撮った写真の一部です。1度も広島を訪れたことのない方は、ぜひ、広島へ足を運び、自分の目で見るべきものを見てほしいです。また、次のURLをクリックすると、また違った角度からの詳しい最新情報をご覧いただくことができます。興味のある方は覗いてみてください。https://hiroshimaforpeace.com/
SDGsの観点から
文理学院では2021年にゴール13「気候変動に具体的な対策を」、2022年はゴール16「平和と公正をすべての人に」をテーマに教育講演会「SDGsの日」を開催しました。このどちらにも関係してくることに「原子力」があります。その原子力を利用したものには上に書いたような「原子爆弾」や「原子力発電」がありますよね。このblogの最後に「原子力発電」(原発)について意見を交えて少し書いておきたいと思います。
2011年3月11日「東日本大震災」における東京電力福島第一原発の事故を受け、国内54基あった原発すべてが一時稼働停止となりました。震災前には国内使用電力の30%前後を賄っていた原発ですが、2014年にはその発電割合はほぼ0%となったそうです。その分、電力確保を火力発電に頼るなどし、多量の二酸化炭素を排出することで環境に大きな負荷をかけたわけですが。
今年で「フクシマ」での大惨事から13年が経過しました。いまだに完全決着を見ない中、国は稼働停止をしている原発の再稼働を推し進め、最新データでは西日本を中心に12基を再稼働させています。そのデータを見ながら「喉元過ぎれば熱さを忘れる」「背に腹は代えられない」といった諺が私の脳に浮かぶわけです。私は「原発」には反対の意見を持っています。その理由は事故が起これば人間がコントロールできない代物、それが「原子力」だからであり、大きな事故となれば人間にも自然にも甚大な被害が及ぶことになるからです。そもそもこの12年という膨大な時間があれば”脱炭素社会を目指す資源極貧国家の国策として”「再生可能エネルギーへの転換」を推し進めることができたであろうに。「日本の政治は学習しない政治である」と私は強く感じています。
そもそも被爆国の日本がなぜ原発を推進してきたのか。それは「被爆国だからこそ核の平和利用を成功させたい」また、「恐ろしい体験を逆手にとり世界を驚かせる大国になりたい」などの政治家や経済界の考えが働いたから「原発大国」になったのではないかと私は認識しています。しかし、原発の廃炉問題や使用済み核燃料などについて真剣に考えていくと、私はやはり原発に頼らず「再生可能エネルギー」で国内需要を賄うことができるシステムを構築していくべきだと思います。持続可能な開発目標(SDGs)の「持続可能」の観点からしても原発による発電はそれにあたるものではないと私は考えます。
世界がよりよくなるためには、日本がよりよくなるためには、身の回りがよりよくなるためには……。人が本当に本気で人のことを考えれば、なんら難しいパズルではないと私は思います。グローバルに考えれば最後は各国のリーダーの人間性であったり、リーダーシップであったりに期待する他ないのだろうが……う~ん。