2023年8月6日(日)原爆の日
※一部、前日の写真も掲載しています。
その日の朝は6時に起床し、ホテルから徒歩で平和記念公園へ向かいました。公園の敷地に入れば拡声器を使って大声で叫ぶ団体やデモ行進を行う団体など、2017年8月6日やオバマ大統領来訪の時と同じ風景がありました。イデオロギー(政治・社会思想)の違いが鮮明になるのもこの日ですし、被爆者やその周囲の人たちとこれまでの政治との「思いのギャップ」が鮮明になるのもこの日です。着席するまでの道程でも色々と考えさせられる「原爆の日」です。
人類史上初の原爆投下から78年目を迎えた現在でも、被爆の影響で心身ともに苦しむ人がいて、彼らの平均年齢は85歳となっています。当時の惨状を直接伝える人間が徐々にこの世から去っていく中、「原爆の恐ろしさを決して風化させてはいけない」、「原子爆弾のない世界を目指して」という強い思いから立ち上がり活動をしている若者たちも増えてきています。原爆がどれほど恐ろしい兵器であるかは原爆資料館をじっくりと見て歩けば誰でも理解できると思いますし、78年経った現在でも苦しんでいる人たちがいることそのものでもわかると思います。
昨年の「SDGsの日」の講演の中でも”核兵器の恐ろしさ”については話をしました。下の写真はその一部です。
今年の平和記念式典で市長や県知事が述べていたことに共通する主旨は「核抑止は幻想だ。実際、目の前で核保有国であるロシアがウクライナへ侵攻し戦争が起き、今も続いている。これが現実だ。この世から核兵器を無くすことこそが重要だ」というものでした。まったくその通りだと思います。日本は世界唯一の被爆国としての責任を果たさなくてはなりません。しかし、日本政府と広島県、長崎県、被爆者の思いには大きな隔たりがあります。私がこの国のリーダーであれば、被爆国の長として「原子爆弾をこの世から一掃しよう」と大国のリーダーに繰り返し繰り返し働きかけているでしょう。
「世界中の人たちがそれぞれ幸せを感じられる、安心して暮らせるよう、みんなで行動していきましょう!」平たく言えば、これがSDGsです。目標達成への期限である2030年までわずか7年。SDGsを「絵に描いた餅」で終わらせることの無いよう、政治に丸投げの姿勢ではなく「個人レベルでもできることをやっていく」姿勢が私たち人間、1人ひとりに問われています。