2月24日(土)です。
2月も残すところ今日を含め6日です。今日は①月見校の説明会、②中2英語欠席者補習です。たった今、トイレから事務室に戻る際、自転車に乗ったお母さまと目が合い……新小4で通塾をお考えと。ありがとうございます!こういうパターン、私は人でも物でも多いです。「目が合う」そしてご縁に繋がる……不思議ですし、ありがたいことです。感謝。
223
昨日の休み。鉛のように重い体をやっと起こしてちょっと外へ。ふと「駿河湾フェリーで伊豆へ行ってラーメン食べてくるかな」と。
清水港最終便で土肥へ。土肥から峠を越えて修善寺方面へ。行きつけのラーメン屋さんで「道は大丈夫でした?雪…」と聞かれたので「今日はフェリーで来たさ」と言ったら驚いていました。海苔、チャーシュー、キャベツのおまけ満載で美味しくいただきました。
「223(富士山の日)に県道223号(駿河湾航路)で、更に峠を越えてラーメンを食べにいく」ちょっと贅沢な一人時間でした。
ここからは少し「重い話」かもしれませんが、たまにはお付き合いください。
時間が過ぎるのは早いものです。時が流れていく中で人間というものは様々な経験・体験を通じて「忘れていくこと、忘れてはいけないこと、捨て去るべきこと……」などを得ていくことになります。以前も書きましたが55歳が一区切りと考えてきた私にとって、この1年は「捨て去る=断捨離」を進め、新たな道へ舵を切るべき年です。最近、考えていることを少し書いておきたいと思います。
みなさんも大袈裟ではなく、生きていれば幾度となく「節目」が向こうからやってきます。それに気づき考えて行動をすることが大切です。高校や大学へ進学する、職場が変わる、職場は同じでも一緒に働く仲間が変わるなど、とりわけ日本では3~4月の春先に「人生における異動」がありますから、そのタイミングを真剣に真面目に考え、できるだけ前向きにチャンスと捉え行動してほしいと思います。
「節目」は向こうからやってくる場合も多いですが、自ら積極的に「節目」を作る場合もあります。言い換えれば「引き際」というものです。大切なことを書いておきます。「他人に振り回されている、他者に都合のよいように扱われている、むやみに時間を奪われている、金づるにされている」などと「本気」で感じてきたら、その場・その組織を離れたり、その人・人たちとは距離を置くなり、縁を切ったりするのがいいでしょう。人生は1度切り。他人からどうこう言われようが、自分自身が本当に心地よく、生き甲斐ややり甲斐をもって物事に取り組むことのできる、自分が生きていていいんだ、自分は本当に必要とされているんだと感じることのできる環境や仲間と一緒に時間を過ごすほうがよほどいい。私の経験からするとお金はそこそこあれば大丈夫です。よほどの馬鹿でなければ「無いならな無いなりに暮らしていくもの」ですから。大切なことは「自分自身が自分自身の仕事や生活に(そこそこ)満足、(そこそこ)納得できているか」です。欲はかかない方が良いと思いますが。
そして「決断はすべて自分の責任だ」ということを忘れないでください。稀に誰かが自身の決断を強いることがあるでしょうが、最終決断をするのは紛れもなく自分自身であることが多いのです。その決断によって、その後に思いもかけない不幸が訪れようとも、それは自分の責任なのです。
また「その決断に至ったのは、良いも悪いも自分が蒔いた種が原因である」ということです。ある講演会でお話をしたのですが「良いことが身に起きる。実はそれは自分自身が発信源となっていることが少なくない」のです。逆も然り。何かを決断する際、その決断に至る導火線は人によって様々ですよね。その導火線についてじっくり考察すると、結局は自分発信であることが多々あると思います。例えば、自分自身の身勝手な言動が最終的に自分自身を追い込むことになる……報道などを見たり、読んだりしていると枚挙に暇なしですよね。
最後に最も大切なことは「すべては自分の責任」と考え生きることです。節目の際の選択・決断もそうです。惨めで格好悪いのは「責任転嫁の繰り返し人生」です。また、同時に「自分が原因で他者を苦しめたり、不幸にしたりしていることに自覚がなかったり、開き直ったりする考え方、生き方」をしている人には最終的に必ずしっぺ返しが待っています。
色々な思いを抱えながら進むのが「人生」。そんな中で辛さややるせなさを抱えながらも、必死で生きている人こそ実は魅力的であったりするのではないかと思える今日この頃です。
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