10/30(月)です。
今日はオンライン会議2つを終えた後、山梨県南アルプス市で「あるお仕事」をして静岡へ戻りました。現在23:50時過ぎ。少々仕事の積み残しがあり、珍しく自宅で仕事をしています。南アルプスでのお仕事については、また別の機会に書きたいと思います!お楽しみに!!
さてさて、明日で10月も終わってしまいますね。10月はあっという間でした。仕事が多忙であったことに加え、休みの度に遠出をしていましたのでそう感じたのでしょう。11月は特に忙しく休めるのか?休めないのか??日曜日だけは休む予定ではありますが、その他は朝から夜までお仕事となることが多そうです。しかしながら、「達成したい目標」があるので、その達成へ向け尽力していきます。
言葉の力
先週末は久しぶりに土・日連休をいただき「花の窟(いわや)神社」(三重県熊野市)、「玉置(たまき)神社」(奈良県十津川村)、「高台寺」(京都)、「東寺」(京都)の4か所を巡ってきました。出発前日の金曜日、朝から深夜までがんばってお仕事を終わらせたので、珍しく仕事道具を持参せず出かけることができました。
今回の最大の目的は「玉置神社」への参拝でした。玉置神社は「呼ばれないと辿り着くことができない神社」と言われるほどの場所にあるパワースポットで、土曜日の朝5時、呼ばれた感覚がありそこを目指したわけですが、「三峯神社」(秩父)を訪れた時と同じような感覚を覚えた、ちょっと特別な雰囲気を持つ場所でした。そこへの途中に寄った「花窟神社」や、ビジネスホテルの予約がたまたま取れたことで訪れることとなった「高台寺」「東寺」。なんと言いましょうか偶然が偶然を呼んで、素晴らしい体験を重ねることができました。高台寺ではプロジェクションマッピングを含めた夜間参拝(2度目)、東寺では真言宗立教開宗1,200年記念特別拝観(五重塔の内部に初めて入りました)……本当に幸運な突然旅でした。帰りは甲府に用事があったため中央自動車道を利用し諏訪経由で……合計1,200kmのロングドライブ。特に土曜日は合計11時間、625kmも車を運転していました。
今回は東寺でいただいた文書について書いていこうと思います。
人を導くものは教えなり。
寺院の持つ使命の1つは衆生の教化育成です。いわば学校と同じ教育です。教育とは与えるものではなく、子どもの持っているものを引き出す営みです。仏教も「神の啓示を与える教え」ではなく、「本人に忘れているものを思い起こさせる」自覚教なのです。仏教の救いは自覚にあるのです。
文(ふみ)はすなわち教えの源なり
救いは言葉にある。私達は「言葉によって考え、言葉によって迷い、言葉によって悟る」ならば、善き言葉に出会うまで、聞き続けるしかない。しかしあなたが、聞いたあとから忘れてしまう人間ならば、体ごと仏法につけておくしかない。体で覚えた言葉は、一生身について離れない。
上の2つの文章、私にとっては大変身に染みる言葉です。
言葉をもって自覚を引き出す、これぞ教育の神髄。教えを自分のものとするためには繰り返し自身に刷り込んでいく工夫・努力が必要だ。
纏めると以上のような意味であると私は理解しました。
いよいよ!!11月1日(水)のHPにご注目を。それだけじゃない、11月は告知したいことが山盛りです。