こんにちは、中島校の小倉です。
昨日、山梨の実家に帰省してきました。先週も帰ったのですが、今週も行ってきました。理由は籾(もみ)まきです。今週様子を見に行くと先週巻いた籾(もみ)から芽が出始めていました。昨今本当にお米の高騰が続いていますね。お米を食べれることを当たり前にはしてはいけないなぁっと思ったからと両親がかなり年配になってきているので手伝えるときは手伝いに行くようにしています。今週は芽が出たことで土が芽生えによって盛り上がってきてしまうので土落としをしてきました。
知っていますか?お米が八十八と書くのは八十八の手間がかかっているからだって。お米は手間がかかるってわかるのはやったことある人だけです。テレビでお米が不足しているから国内生産量を増やすとか、カリフォルニア米を輸入するだとかお偉い人たち議論していましたが、簡単に言っているなって思います。
誰がどれだけ大変な思いをして生産しているか知っているのかと。コメンテーターは言葉を発する仕事ですから感謝の気持ちを忘れてはいけませんね。少なくとも僕には簡単に発言しているように聞こえたから仕方ありません。
お米を残すと目がつぶれるよっと母から言われたものです。実際に目がつぶれる訳ではないのですが、「米には三柱の神(三体の仏)が宿っている」、「米は天照大神の目」、「ご飯粒を残す人は出世しない」などとあるように、昔はお米には神様が宿っているから、お米の食べ残しをしてはいけないという戒めがあったそうです。目が潰れることは昔の人にとっても、生活する上で非常にリスクを負うことですので、「こんな大事なものを粗末に扱うことは罰当たりだ」という意味から「ご飯粒を残すと目が潰れる」と言われるようになったのではないかということです。
全てに感謝。嬉しいことも悲しいことも、つらいことも、すべて自分の血肉になります。
今日もありがとうございました。