【吉原校高等部】読書のススメ(その7)

国語科の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。

 

 

お待たせしました。お待たせし過ぎたかもしれません。超私的な「村上春樹論」の後半です。

 

 

私は村上春樹が開示してくれる独特の世界に入るため、彼の小説を読んでいる。彼の作り上げる世界は一定である。そこにはブレがない。多くの小説が主人公の一人称で語られている。その主人公の性向に同調するととても心地よくなるのだ。

その心地よさの根本は「ひとりで生きる」という、主人公の生活スタイルにある。村上作品では、主人公が料理をしているシーンがよく描かれるが、その根本の部分は「自分の食べるものは自分で作る」というところにある。その細かい描写に私は「生きていく姿勢」が感じられるのだ。それは料理だけではなく、日常生活のいろいろなところに及ぶ。アイロンを自分できちんとかけているし、掃除も洗濯もしっかりこなしている。身のまわりの始末を必ず自分ひとりでつけて生きている。こういった物語の、いわば背景世界を実感できることが、私にとって村上作品を読む大きな楽しみなのだ。

 

そして、何でもないことを淡々とこなしていくというスタイルは主人公の生き方そのものになっており、全く同じスタンスで世界と対峙している。ときに「邪悪なるもの」に立ち向かうときも、食事を作るときの態度と同じように動くだけである。その一貫性が心地よい。

また、主人公は世界をきちんと分けている。次々と不思議なことやトラブルが起こる世界をきちんと区分しているのだ。自分の関係ある物事・エリアと自分に関係ない物事・エリアをしっかりと分ける。そして自分にできるエリアのことを、自分のできる範囲で行っていく。この行動規範がきちんとしている。余計な人たちの余計なことに首を突っ込もうとせず、自分の生活を守り、その維持のために日々細かく動き続ける。他人から見れば無意味に見えるかもしれない行動を積み重ね、日常を生きていく。世界を善悪には分けない。自分の参加している世界と参加できない世界とに分ける。そこがとても大切なのであろう。それができれば、困難な状況になろうと、料理をきちんと作るのと同じ指針で動くことができるのだ。

 

 

村上作品を読むたびに、私は姿勢を正すことができる。だから読む。古い作品を繰り返し読み、新作が出たら読む。このメタファーは何を意味しているのか。作品のテーマはどこにあるのか等々気にはなる。しかし特に答えはいらない。村上作品を読むと「当たり前度」を上げようと思う。いつも「特別な視点による日常生活が違って見える気分」は必ず担保してくれる。そのために読むのだから心地よい。視点が変わる。怠惰な自分を見つめ直せる。そして少しだけ強くなれる。だから読む。それで十分なのだ。

 

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。グラシアス、アミーゴス!