羽鳥校2 ぼんくら道 Part124 「滋賀の旅③」

こんにちは!
羽鳥校の作原(社会・国語)です。

秋分の日

……の、振替授業をしている羽鳥校です。
清流祭(服織中の体育祭)の疲れが残っている感じの、くたびれた生徒が最初は多かったですが、
白石先生、塩谷先生、(そして作原)の授業を受けているうちに、
みんな、だんだん元気になっていったようでした!
今週も勉強がんばるぞい!

週末の作原。さんまを頂いたり、映画を見たりしていました。

今年初・さんまです。
ようやく秋らしくなってきましたね。
本当かともかく、さんまを食べると、脳の回転がよくなるとか。
そのせいなのか……今日は、すこぶる快調です!
記憶力もよくなるんだそうですよ。
お母さん! ご家庭でぜひ、お子さんに食べさせてあげてください。

映画は2本見たのですが、こちらが大変よかったです。
『侍タイムスリッパー』(公式サイトへ飛びます)
なぜか現代にタイムスリップしてしまったお侍が、時代劇に出演して
「斬られ役」として頑張る、というお話。
時代劇へのアイデアでいっぱいの作品でした。
とてもいいですね~。こういう映画が増えてほしいです。

滋賀の旅③

安土城のお話。3回目です。(前回はこちら)

「なぜ、安土城の道がまっすぐなのか??」というお話で終わっていました。
今日は答え合わせをしていきます。
さてみなさん。
「まっすぐに作られている道路」
というと、歴史で思い浮かべるものがありませんか?

そうです、「碁盤の目」!
平城京や平安京で作られていた中心部の直線道路(朱雀大路)を
信長は模したのではないか? という推考があるんですよ。

「いくらなんでも」と通常、思うところですが、
安土城の調査が進むにつれて、
城内の御殿に使われている建築様式が、天皇の御所(清涼殿)と同一であると判明したり、
都を意識したつくりであるのは間違いないだろうと言われています。

天主閣のあった跡です。
礎石の大きさから、柱の太さが推測できます。

安土城主郭部分の石垣は、築城当時のものです。
本能寺の変後、謎の出火により、
この付近の建造物は、天主閣・御殿を含め、みな燃えてしまいました。
石垣の黒ずんでいる部分は、そのときの炎で焼かれた痕跡です。

400年以上が経ち、安土城の城跡にはそんな石垣だけが残っています。

安土城跡 滋賀県近江八幡市安土町下豊浦

ぜひ訪れてみて下さい!

では、本日はここまで。
ではでは。

作原

あすがく

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文理学院 羽鳥校 295-5587