必要に迫られての奥深い意義  Part100

◎ニャンコ先生のブログも回を重ねていよいよ、100回目になりました。今まで愛読して頂いた読者の皆様方、有難うございます。感謝の気持ちでいっぱいです。これからも皆さんの自己啓発につながる文を、できる限り書いていきます(そのほとんどがパクリばかれですが)。将来的には、独自に『受験生のための自己啓発書』なるものを、出版する予定です。(夢のまた夢の話ですが、、、!!)

前回同様、稲盛氏の『生き方』からの抜粋です。

『嬉しい時は喜べ、素直な心が何よりも大切』より

感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親であるかもしれません。自分の耳に痛いこともまっすぐな気持ちで聞き、改めるべきは明日といわず、今日からすぐに改める。そんな素直な心が私たちの能力を伸ばし、心の向上を促します。

この「素直な心」の大切さを説いたのが、松下幸之助さんでした。松下さんは、自分には学問がないからと、いつも他人から教えてもらうことで自分を成長させていこうとする姿勢を生涯変えることがありませんでした。“経営の神さま”と言われてなかば神格化された以後も、この「生涯一生徒の気持ち」を忘れず貫かれたところに、松下さんの真の偉大さがあると私は思っています。

もちろん、その素直さは、右を向けといったらただ右を向く、そういう従順さのことではありません。素直な心とは、自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のことです。人の意見をよく聞く大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目。それらを身のうちに備えて絶えず働かせることなのです。

いかがでしょうか? 前回のブログでは、模擬試験の結果に一喜一憂してはいけない。という趣旨のことを書きましたが、上記の文からすると、喜ぶべき時には素直に喜ぶことの必要性を感じさせられます。重要なことは、模擬試験でいい結果が出た時には、素直に喜ぶと同時に、次への目標に向かって更に努力しようという決意を行い、最終目標の大学入試本番において見事栄冠をゲットするという意思確立を再度行うことでしょう。良い結果で『天狗』になって、その後攻めの手を緩めるなどということが決してあってはなりません。高慢な態度は自己を滅ぼす大きな要因になるでしょう。

ニャンコ先生からのお知らせだニャン(=^・^=)

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