こんにちは、富士南校の平田です。
暑くなってきた〜と思ったら、突然寒くなったりと、今一つ安定していない感じですね。そんな影響もあってか、体調を崩して欠席、ちという生徒が少なくありません。「季節の変わり目は〜」なんて言葉もありますが、正直いつが季節の変わり目?という感じになっています。
以前エジプトでガイドさんに、砂漠の定番はポロシャツに革ジャンというのを聞いたことがあります。砂漠は一日の気温差が大きいので、その対策ということですが、幅広く対応できるような服装は心掛けた方がいいかもしれませんね。
承久3(1221)年5月14日、後鳥羽上皇が近隣諸国の武士1700騎を結集しました。承久の乱の始まりです。
教科書には「後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと挙兵」とありますが、実はこれ、違うんです。上皇は幕府を倒そうとしていないんです。上皇が出したのは「幕府執権・北条義時を討て」という命令。御家人の一人・三浦義村に全国の守護の任命権を与えることを約束していることからも、幕府を倒す気がないことは明らか。ではなぜそうなってしまったのでしょう。
それは幕府側の情報操作。標的が義時一人だと、御家人は義時より上皇を取る可能性が大でした。日本人の感覚の中には、天皇家に逆らってはいけないということが刷り込まれているのです。ですが、幕府を倒すといわれたら話は別。幕府がなくなったら、昔の悲惨な暮らしに逆戻りです。そこを訴えることで、幕府はこの戦いに勝利することができました。日本の戦いの中で、天皇家と戦って勝ったのは、この戦いだけなのです(天皇家同士の戦いは除く)。そしてこの勝利は、この後の幕府と天皇家の関係の基礎となったのでした。