こんにちは、富士南校の平田です。
3月11日といえば、記憶に新しいのは東日本大震災ですね。
あの時は静岡にいたのですが、「揺れが長いな」くらいにしか感じませんでした。
後から被害が大きいこと知り、驚いたのですが、人事ではありませんでした。
国道一号線と東名高速が通行止めになり、家に帰れなくなってしまったのです。
3月11日は織田信長が甲斐の武田氏を滅ぼした日でもあります。
武田氏は、信玄の後を継いだ勝頼の代でした。
この滅亡に大きく影響したのが、天正6(1578)年の上杉謙信の死でした。
謙信の二人の養子、景虎と景勝の間で後継ぎ争いが起きました。
景勝は北条氏政の弟、勝頼の妻は氏政の妹でした。
景虎が上杉家を継げば、神奈川から新潟へと日本を横断するラインができます。
そうなると信長にとっては非常に厄介です。
ただ、勝頼にも不安はありました。
氏政と景勝は実の兄弟ですが、勝頼は妹の夫に過ぎず、血縁関係はありません。
そのため、逆に両側から挟まれる危険性もあったのです。
結局勝頼は景虎に味方せず、景虎は敗死、上杉家は景勝が継ぎました。
これを恨んだ氏康が信長と手を組み、結局勝頼は織田・北条に挟まれることになりました。