前回の続きで、稲盛氏の『生き方』からです。
なるほど人生は、宇宙のとてつもなく長い歴史からすれば、わずかな一閃にすぎないかもしれない。しかしだからこそ、その一瞬に満たない生の始まりよりは終わりの価値を高めることに、われわれの生の意義も目的もある。私はそう考えています。もっといえば、そうであろうと努める過程そのものに人間の尊さがあり、生の本質があるのだと思います。
さまざまに苦を味わい、悲しみ、悩み、もがきながらも、生きる喜び、楽しみも知り、幸福を手に入れる。そのようなもろもろの様相を繰り返しながら、一度きりしかない現世の生を懸命に生きていく。
その体験、その過程を磨き砂としておのれの心を磨き上げ、人生を生きはじめたころの魂よりも、その幕を閉じるようにするときの魂のありようをわずかなりとも高める — それができれば、それだけでわれわれの人生は十分に生きてきた価値があるというものです。
いかがでしょうか?
本日、5年前に起こった京都アニメーション放火事件の犯人に対する裁判所の判決が出されました。極刑の死刑判決です。もし、被告人が稲盛氏の『生き方』の本を読み、自己を厳しく律しながら、心を磨き上げる人生を送っていたならば、あのような事件は起きなかったのではないかと、悲しい気持ちになります。
生徒の皆さんには、勉強だけにとらわれるのではなく、長い自己の一生、価値ある一生としての現在の立ち位置を再確認し、幸せな人生を送ってもらいたいと心から念願するしだいです。
その為にも、今一番力を入れることは、自己の未来を切り拓く為に、勉強に勤しむことは明らかですが、、、。
ニャンコ先生からのお知らせだニャン(=^・^=)