先日、「勝手に学ぶ人」と「期待されて学ぶ人」の差が埋められない|柴田史郎|noteという記事を読みました。どんな場所や組織でも、「自分で成長する人」と、「誰かによって成長する人」が生まれてしまうけれど、企業としてはどうしていけばいいかなどの考えをまとめてくれたものです。
このことは学校や塾でも同じように起きてしまいがちだと思っています。それと同時に、私の知り合いの元小学校の先生はクラスの児童たちの中で「勝手に学ぶ人」の割合が多く、「期待されて学ぶ人」も児童がお互いできるようなチームづくりをされていて、改めて凄い先生だったことを思い出しました。
ただし、一体感のある凄いクラスをつくれたがゆえに、卒業式では小6生の担任なのに児童の誰からも感謝されないという状態にまでなってしまったと言っていました…。そのときには「さすがに担任だったのだから、一言でも感謝の言葉があってもいいのでは?」と聞くと、児童からは「感謝はしているけれど、『頑張ったのは僕たち』だから」と言われたそうです。まさにクラスの児童たちを主役にしながら、クラスを学習する組織へとシフトする先生の役割を担っていたことが分かる返答ですね。
最近は、学校でも塾でも個別最適化学習と呼ばれる一人ひとりに合わせて問題や問題の難易度、単元を変えて学習効率をあげることが求められるようになっていますが、少なくとも学校という1つの場では、1人での学びだけでなく、みんなだからこその学びが生じるよう上記の元先生のようにデザインしてほしいと思いました。