『必要に迫られての奥深い意義』 Part50

〇本日より、定期試験対策開始!!

〇しっかり、締めて行こう!!

前回の続きです、、、。

都留市出身の山崎大佐の話です。ネットからの掲載文を転記しています。)

1943年(昭和18年)2月に北海守備第2地区隊長に任命され伊31アッツ島に着任した、同部隊の任務は独力で島を堅守することであった。

アッツ島の戦いでは2,650名の守備隊を指揮し水際防御ではなく、のちのペリリュー島の戦い硫黄島の戦いと同じく敵を島の内部や高地に引き込む戦略を採用し陣地を構築した。その結果上陸したアメリカ軍との戦闘は太平洋戦争の激戦のひとつとして記憶されることとなった。

1943年5月29日、山崎部隊長は守備隊の生存者に本部前に集まるよう命令し、旭湾(マサカー湾)近くの臥牛山附近のアメリカ軍陣地に最後の攻撃を行った。山崎は右手に軍刀、左手に日の丸の布を持って攻撃部隊の先頭に立ち、満身創痍の将兵約300名が後に続いた。山の斜面を駆け上ってアメリカ軍の哨戒線を突破、スピーカーから流れる降伏勧告を拒否して弾丸が雨あられと降り注ぐ中を突撃し、アメリカ軍陣地で激しい白兵戦を展開した。しかし次第にアメリカ軍の圧倒的な火力が集中して攻撃部隊は壊滅、山崎も戦死しアッツ島守備隊は玉砕した。

死後二階級特進し、陸軍中将に進級[2]。なお、戦後遺骨収集の際に攻撃部隊の一番先頭で遺品・遺骨が確認されたのは山崎である。指揮官先頭の伝統をよく守った最期であった。

保代没後の1954年昭和29年)には、父親の山崎玄洞により生家の保寿院境内に「アッツ観音」が建立される。1994年平成6年)にはさらに石碑も建立されている。

 

以上が山崎大佐の最期ですが、玉砕前に無線での本国とのやり取りの文句には、山崎大佐の人柄が伺えるので、これまたネットからの文章を転記させてもらいます。

「戦する身、生死はもとより問題にあらず。守地よりの撤退、将兵の望むところにあらず。戦局全般のため、重要拠点たるこの島を力及ばずして敵手に委ねるに至るとすれば、罪は万死に値すべし(中略)。将兵全員一丸となって死地につき、霊魂は永く祖国を守ることを信ず」。

更に、突撃前の最後の文句は以下の通りです。

「他に策無きにあらざるも、武人の最後を汚さんことを恐る。英魂とともに突撃せん。従来の懇情を深謝すると共に閣下の健勝を祈念す」

ロシアによるウクライナ侵攻、北朝鮮による弾道弾ミサイルの発射、中国と台湾の領土・主権争いなど、第二次世界大戦以降最も危険な状況に、我が母なる地球が直面していると言っても過言ではありません。こんな時だからこそ、平和の意義を再度確認して行く必要があります。但し、

『必要に迫られて!!』と考えていては、手遅れになってしまう危険性が大きいでしょう。

平和だからこそ生徒の皆さんが、このように勉強を行えるという、真実を少しでも考えてみてもらえると、ニャンコ先生は幸せです。

ニャンコ先生からのお知らせダニャン(=^・^=)

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