こんにちは!
羽鳥校の作原(社会科)です。
10月も半ばをすぎ、肌寒い日も増えてきましたね。
コートが欲しくなるような冷たい雨の日もあれば、
半袖でも良かった! という陽気の日もあり。
季節の境目らしい気候ですね。
吉田松陰のこと
四季の移り目というと、思い出す人物がいます。吉田松陰です。
今から百五十年ほど前の、江戸時代末期に活躍した武士で、
当時の長州藩、現在の山口県に生まれました。
ペリー来航(1853年)以来、開国か攘夷かをめぐり、混乱する時代の中で、
「松下村塾」という私塾を開き、
高杉晋作や伊藤博文を教育したことで知られています。
松陰は私塾の教師として、生徒の身分や能力を問わずに教えました。
「いつも温厚で、誰に対しても礼儀正しく、優しい先生だった」
という評がたくさん残っています。
吉田松陰は、とにかく生徒に愛された教育者でした。
松陰の教え子は、のちに尊王攘夷運動に身を捧げることになりますが、
彼らの多くは松陰の「思想」ではなく、
「人格」に惹かれたのではないかな? と個人的に思っています。
松陰自身は、明治維新を迎える前に、
幕府の弾圧(安政の大獄)に遭い処刑されてしまうのですが
松陰の教育した若者たちは、その後も長く活躍し
明治時代の日本を率いるリーダーになった人も多く出ました。
処刑直前、松陰が牢の中で書いた「留魂録」という文章があります。
「自然の中に春夏秋冬があるように、人間の一生にも四季がある」
というくだりが、その中に出てきます。
田おこしをする春、苗を植える夏、豊かな収穫を祝う秋、といったように
どんな人間の一生にも、そのような自然のリズムに相当する時期がある、という内容です。
松陰は、三十歳の若さで亡くなってしまうのですが、
百歳まで生きる人には百歳の四季があり、三十で世を去る自分には三十の四季がある、
長生きは人生の目的ではない、という意味になっています。
生涯に何度を身を捨てた行動をした、松陰らしさを感じる人生観ですね。
(静岡県下田市弁天島。松陰はここからペリーの黒船に乗り込み、アメリカに渡ろうとしました)
松陰が生徒を諭した言葉に、こういうものがあります。
「目先の安楽を求めても、所詮一時しのぎに過ぎない。百年の時は一瞬で流れてしまう。自分の時間を無為に過ごさぬよう心掛けなさい」
そんな言葉に動かされた若者たちの時代の先に、いまの私たちが住んでいます。
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作