こんにちは、中島校の平田です。
先日の8月テスト、そして学調の結果が続々返って来ています。今回も文理生は大健闘を見せてくれました。
結果については現在調査中ですので、ある程度出揃ったところでお伝えしていきます。もうしばらくお待ちください。
宝亀元(770)年9月6日、称徳天皇によって大隅国(鹿児島県)に流されていた和気清麻呂が、天皇の崩御に伴って都に戻されました。
清麻呂は「道鏡を天皇にすれは世の中は安泰」という神託を確認するために宇佐八幡宮に派遣されました。そして、「天皇になれるのは天皇家の人間のみ。それ以外は排除せよ。」という結果を伝えたため、天皇の怒りを買って処罰されていました。
この出来事、「乱心の天皇に立ち向かった正義の清麻呂」と言われていますが、本当にそうなのでしょうか。天皇家と結びつくことで権力を手にしていたのが藤原氏でした。称徳天皇は、藤原氏が権力を独占するのを何とかして抑えようとしました。僧侶である道鏡が天皇になることは、藤原氏にとって大きな痛手になります。藤原氏は清麻呂によって最大の危機を脱し、称徳天皇崩御後には藤原氏と関係の深い光仁天皇を即位させました。
清麻呂が純粋に天皇家のことを考えていたのか、それとも藤原氏の意を汲んで行動したのかはわかりません。しかし結果として藤原氏が独り勝ちする平安時代を迎えることになったのでした。