こんにちは、中島校の平田です。
夏期講習の開始まであと一週間となりました。
7月21日(木)・22日(金)のオリエンテーションからいよいよ夏期講習です。
今日も中島校には申し込みの電話や来訪者が殺到しています。
次の夏期説明会は16日(土)16:00~。
いよいよ最終回です。
文理学院の授業に興味のある方は是非ご参加ください。
ご都合が合わない場合は個別にご説明いたしますので、ご相談ください。
中島校32-6027
ご連絡をお待ちしております。
昨日の出来事ですが、承久3(1221)年7月13日、後鳥羽上皇が隠岐に流されました。承久の乱で敗れたからです。
承久の乱は後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと挙兵した事件といわれています(授業でもそう教えています)が、実は違うのです。
後継ぎのいなかった三代将軍・源実朝は、後鳥羽上皇の皇子を次の将軍にと考えました。皇子の義父ということで自身の権威と幕府の権威を高め、将軍を引退して自由な立場になれるからです。執権・北条義時も、幕府の権威が高まれば、その最高権力者である自分の立場も強まるということで大賛成、後鳥羽上皇も実朝を通じて幕府をコントロールできるということで同意しました。
しかし、大事件が起きました。建保7(1219)年1月27日、実朝が甥の公暁に暗殺されたのです。実朝がいない状況で幕府をコントロールするのは不可能。上皇は義時を排除し、幕府を直接コントロールしようとしました。
つまり、後鳥羽上皇がやろうとしたのは幕府を滅ぼすことではなく、北条義時の排除だったのです。
義時や北条政子といった幕府首脳は、上皇が幕府を滅ぼそうとしている。いいのか?と話をすりかえたのでした。
その結果幕府は大勝。朝廷を圧倒して全国を支配するようになったのでした。