校舎ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
校舎長の横森です。
私の専門は日本史です!
というのは、何度もブログに書いておりますが、
しっかり歴史を勉強していくと、
「中学歴史ってなんでこんな教え方するんだろう?」
と思うことがいくつかあります。
➀隋と対等外交を目指した推古天皇?
「対等外交」は目指してません!
これ、小野妹子が隋の皇帝・煬帝に献じた国書が原因でそう言われているんですよね。
「日いづる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや」
(東の国の天子が、手紙を西の国の天子にあげます。お元気ですか)
この手紙で、突然推古天皇は、自分と隋の皇帝を同じ「天子」と称しているのです。
これめちゃくちゃ失礼なんですよ、実際中国の皇帝・煬帝も激怒しています。
実は小野妹子で有名な「遣隋使」は1回目の遣隋使ではなく、第二回遣隋使です。
じゃあ第一回遣隋使は?というと600年に派遣されましたが、
「国の秩序や風俗がなっていないよ」
と、隋の皇帝に怒られてまともに相手にされず追い返されています。
その後、推古天皇は冠位十二階・憲法十七条を定めて、「国」の体裁を整えて607年に小野妹子を再度送ります。
……たった7年で「隋と並ぶ国になった!」と思い上がったとしたら、なかなか単純ですよね(笑)
つい7年前まで「野蛮」な連中だった日本の天皇が「天子」と書いてきたらそりゃ怒ります。
実際、隋の皇帝からもらった手紙のお返事に
「東の天皇がつつしんで西の皇帝に申し上げます」
と思いっきりへりくだった文章に変わります。対等なんて当然思っていないわけですね。
隋の皇帝に従うのではなく、独立国家として認めてもらうのが目的で虚勢を張ったと、現在ではされています。
➁参勤交代の目的は?
これ、勉強している生徒さんほど答えられますね。
もうすでに中2の皆さんは答えられますね?
「大名たちの経済力を削ぎ、反乱を起こす力を奪うため」
たしかに!
そう教えられます、中学では!
しかし、現在これは「目的」ではなく「結果」だったとしています。
目的と結果って難しいですよね。
参勤交代の目的はあくまで、「主従関係の確認」だとされています。
古来日本では、偉い人に家来が「会いに行く」のが上下関係の確認方法でした。
一年ごとに大名たちが参勤して将軍に挨拶をすることで、
「あ、私は将軍に仕えているんだな」
という確認になるわけです。
その結果、ながーーーーい行列&豪華な行列を組み、長距離を大人数で移動することで、
各藩の財政が悪化して、
「幕府に逆らうどころか、藩の政治すら危うい」
状況になるまで大名たちは追い詰められます。
だから、江戸時代末に幕府に反乱を起こすことに成功した雄藩(長州や薩摩や肥前など)は、
びっくりな方法で借金を返済して力を持つことで反乱を起こせたわけです。
まあそんな風に、勉強していくと中学社会って不十分な部分が見えてきたりします。
歴史という科目は、だいたいそうです。
何度も何度も初めから終わりまでを学び直して、
そのたびに新しい知識を学んでいくことで、
知識が定着&思考力が上がります。
なので、みなさん!
歴史は何週もしてくださいね!!
さあ、まだまだ夏期講習募集中です!
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