こんにちは、五味です。
まずはお知らせです。前回のブログで加藤先生から告知がありましたが再掲します。
来週の時間割は変則になっていますが、少々変更もありますのでご案内します。
23日(月) 19:45~ E2S、E2H 合同で2コマ連続
また、高校1、2年生は塾内模試がありますね。日程を把握していない生徒さんがいらしたので、以下ご案内です。
- 24日(火) 19:45~21:25 高1 書類記入、英語
- 25日(水) 19:45~21:25 高2 書類記入、英語
- 26日(木) 19:45~22:15 高2 数学、国語
- 27日(金) 19:45~22:15 高1 数学、国語
この日程で受験できない生徒さんは別日に受験しに来てください。
🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟
子ども食堂募金箱設置しております!!(7月9日まで)
1円~受け付けております。ご協力お願いします♪
🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟🐟
ニュースをにぎわせている給付金問題。この手の話になると、「誰が悪い、誰々は悪くない」といった話が外野でなされ、いつの間にか「あなたの意見は間違っている」と、意見者がターゲットになるというよくわからない事態になるのが、SNSなどでよく見かけます。
複雑な問題を議論するときは、何が問題点なのかを挙げることが最初です。
課題・問題→原因→解決策→改善
そもそも課題点、問題点が共通認識になっていなければ、その後の話し合いははっきり言って無駄な時間です。
よく、「問題点なんて分かりきっているではないか」と、問題点を挙げない、言わない人がいますが、とんでもない間違いです。十人十色、人が違えば考え方も違うのに、問題点をすり合わせないのは自己中心的ですし、もしかしたらそもそも問題点を認識していないのかもしれません。
で、タイトルの「魔が差す」ですが。
例えば財布を拾ったとしましょう。そのときに「このまま中身をよこどりしよう、どうせばれはしない」と、拾った瞬間、思います。私はいたずら好きなのでの「魔が差す」ようなことは、よく思います。あれ、私だけ?
ただ、次の瞬間「でも、落とした本人は困っているだろうから、交番に届けよう」と思います。
別に偽善でもなんでもなく、私は「自分がうれしい」よりも「他人がうれしい」を優先するんだと思います。
とある研究で、①自分のために使っていいと500円を渡されるグループ、②誰でもいいから他人のために500円使いなさいと渡されるグループ、の2グループに分かれ、その後の幸福度を調べたそうです。すると結果は、①の自分のために使っていいグループは、幸福感はたったの一瞬で持続せず、むしろ「たった500円じゃ何もできない」と文句も言うぐらいだったのに対し、②の他人のために使ったグループは、「お礼を言われてうれしかった」という記憶が長続きし、幸福感が1~2週間持続するという結果だったそうです。
私はきっとこれを経験的に感じているのでしょう。生徒のみなさんも、自己の成長として上の研究結果は記憶にとどめておいてほしいです。
この給付金問題は「誤って振り込まれたお金と知りながら、自分のお金と偽って使用した」罪に問われているので、幸福度とは次元が違うのですが、とはいえ「困っているのは自分だけではない、お金が渡るべき人に渡ってくれれば」と当人がハッと思ってくれていたら、結果は違ったでしょう。