国語科の「THE KING」あらかわです。この校舎ブログでは私が面白いと思った小説や作家をいろいろと紹介し、能書きを垂れたいと思います。
普段から言葉に携わっていると、感性に合わない表現や文体が多々ある一方で、上手い言い回しや美しい表現に思わず感動することもたびたびある。思わず「素晴らしいっ!」って叫んじゃう。英語科の足○先生のように・・・。やっ、違うな。私の場合は心の底から感動しているので。
それはさておき、今回はちょっと変化球。私が今まで読んだ数千の小説作品の中から、独断と偏見で『タイトルが秀逸すぎる小説』を紹介してみよう。ホントはもっとたくさんあるのだが、日本人作家で内容も担保できる作品となるとこの辺りであろうか。ではいってみよう。
『銀河鉄道の夜』宮沢賢治
まずこれは外せない。幼い頃に出会っている人が多いだろうから、昔すぎてこのタイトルと最初に出会ったときの感覚を忘れているかもしれない。
しかしながら、このタイトルは日本が誇る「最高タイトル」である。私もめちゃくちゃ好きだ。もう正解をあげたい。いや、あげる。宮沢賢治の墓に「正解!」って書きたい。もしそういう事件があったら私が犯人だからすぐに通報してくれ。頭の中に広がるイメージ、ナイスすぎます。
『大人は泣かないと思っていた』寺地はるな
ね、私も思ってた。共感がすぎて泣きそう。私が小さな子どもだった頃に大人の涙を初めて見たとき「わ、大人が泣いてる!」と思った瞬間をよく覚えている。
『大人は泣かないと思っていた』というタイトルを見て「分かるなぁ」「確かに」と軽く共感するのもいいんだけど、私としてはその感覚を保持し続けていた作者の感性を褒め称えたい。
日々の生活を送り、成長していく中で少しずつ私たちの感性は風化していく。得るものもあれば、失うものもある。そんな中で、昔失ったものと再会できるのって最高ですよね? ちなみにこの作者はそろそろ本屋大賞にエントリーされるであろう。今のうちに断言しておく。
『いつか記憶からこぼれおちるとしても』 江國香織
「通(とお)って良し!」。あまりの美タイトルに、何の権限もなく通行の許可を与えてしまった。切なすぎるだろ、これ!?エンセリオ、マ・ジ・で! おっと、思わず得意のスペイン語が出てしまった。
人の記憶はたゆたう。元から曖昧なもので、どんなに素敵な記憶だってその瞬間から風化していく。人が介在した時点ですべては無くなる運命、デスティーノである。
だからと言って私たちが日々感じる喜びや幸福、そして素敵なタイトルを見たときに感じる興奮などに意味がないわけではない。紛れもなく私たちが生きる理由がそこにはある。
人という存在の儚さを感じさせながらも、それでも顔を上げて前を見ようとする希望に満ちている。まるで朝の日差しのような眩しさを感じさせるタイトルである。
『私の頭が正常であったなら』 山白朝子(乙一の別名義)
こんなに切なく悲しい願い。ないものを欲しがることで、より悲しさが胸を突くことだろう。異常な私に苦しめられる「私」。でも正常であれたら本当に幸せになれるのだろうか?
正常と異常を分かつものが何かなんて誰にも分からない。それはその人自身が決めることなのかもしれない。
私はこのタイトルを見たとき、ぽっかりと体に空いた穴を、悲しげにさする。そんな弱々しい女性の姿が見えてきた。触れないものを触ろうともがく。その姿は物語そのものだと感じるのだ。乙一はやっぱスゴイ。
以上、私の感性に共感して頂くもよし、ピンと来ない人もそれはそれでよし。感性おかしいだろ!?と思うもよし。思い思いに味わって頂ければ幸いである。